Blue Moon Redux

社会、テクノロジー、心理学、経済とかその辺。

『功利主義入門』読書メモ

 次の本を読んだのでメモ。

児玉聡著『功利主義入門』

 

- 功利主義の原則は、「最大多数の最大幸福」である。これは基本原則として採用するにはよいもののようにも思われるのだが、一方で実際の意思決定にどこまで役立つのか、疑念もある。それは結局のところ、「最大多数の最大幸福」をどうやって算出するのか、という点が不明確だからだ。例えば政策決定にこの原則を当てはめようとした場合、ある政策Aと政策Bのどちらがより多くの幸福をもたらすのか、どうやって計測するのだろう。仮に短期的にはAの方が幸福をもたらすと考えられるとしても、長期的にはBもAと同じかそれ以上の幸福をもたらす、という場合もあるだろう。時間的変化などを考慮しつつ「最大幸福」という曖昧な指標を計測するのはかなり難しいことのように思える。そのため、結局のところ最終的にはGDPなどのより具体的な指標を使う必要が出てくるのではないか。

 

 

> 非常に制限された環境や構造的な差別が存在する環境に育ってきた人は、その環境に適応した選好を形成してしまい、幸福になるために通常は必要だと思われる選好を持たなくなる可能性がある。これを適応的選好の形成と言う。

- そうなのだが、「幸福になるために通常は必要だと思われる選好」という言い方は正しいのだろうか。女性差別が当たり前に行われる社会に生まれた女性は主観的な「幸福度」でいえば、彼女が適応的選好を形成する限りにおいて、幸福であることに変わりはないだろう。そうではなくて、構造的差別の問題点は人権の制限そのものにある、という必要がある。そして、差別の対象となっている人々は、自分たちがそのように劣等な環境に置かれている、ということに気づき、社会的な騒乱が生まれるリスクもある。または、ある人が別の環境での状況を知ったときにもそれをうらやんだりしない、という基準も考えられる。

 

- 著者は、政府の役割を不幸を最小化すること、つまり最低限のインフラの整備を行うことに集中すべきだとする。そして、あとは個々人の自由にまかせるのがいいのだという。だが、実際には不幸を減らすことにもさまざまな政策的介入が必要になるだろう。例えば、格差や相対的貧困の問題を考えてみよう。格差が広がれば相対的に貧しい人々が増え、そうした人々は不幸・不満を抱えることになるのだから、彼らを支援することはだとうだ。だが格差を減らそうとすれば、累進課税など富裕層への課税を実施することになる。誰かの不幸を最小化しようとすれば、誰かの幸福を損なうかもしれない。最低限度の整備を行うことにも、それなりの介入を行う必要があるかもしれないのだ。